2015年12月9日水曜日

ゲーム音楽史は誰のもの?

なんだか風化しつつあるような気もする上に、ただの一ユーザー(リスナーって言った方がいいかな。分からん)がなんやかんや言うことでもないような気がするけど、やっぱり見過ごせない問題でもあるのでもう一度取り上げておく。今回は例の本についての話は無い(と思う)。

事の発端と経緯(Hallyさんのブログ)
http://d.hatena.ne.jp/hally/20151205

自分自身の意見は「我々はゲーム音楽史を拒まない。だから我々からゲーム音楽史を奪うな」ってとこだ。我々ってつけちゃったけど流してくれ。
ゲーム音楽史についてあーだこーだ言いあうこと自体は悪いことじゃないと思う。というかそうでもしないと正しいゲーム音楽史なんてのは完成しないわけで。問題なのはその語ろうとする場を奪うような行為だろう。

商標が取られてしまった以上、「ゲーム音楽史」という名称を掲げるものは許諾がいるってことになりかねない。このことがゲーム音楽の研究に関してマイナスになることはあってもプラスになることは間違いなく無いことが問題だ。
そもそもなぜゲーム音楽史という一般名詞の商標をとろうとしたのかが分からない。これはゲーム音楽の歴史を私物化するような行為じゃないか。そんなことがあっていいのか。

自分と同じような意見もあることはあるようだ。
http://gmblog.seesaa.net/article/430791160.html
��勝手にリンク張っちゃったけどダメでしたら消します)

怒りはある。でもそれ以上に無念という思いが強い。今後「正しい」ゲーム音楽史が作られることになっても、それに『ゲーム音楽史』とつけることにブレーキがかかる可能性があるから。真実は埋没され、間違ったことが正しいと広まってしまう可能性があるから。過去をおざなりにされる可能性があるから。こんなの虚しいなんてもんじゃない。
そもそもゲーム音楽史自体がもはや個人研究では追いつかないほど深い世界であることは明白で、それこそ複数人での共著レベルでないと語られないほどのものだと自分は思っている。例の本はコンシューマ機を中心にして述べられていたが、ゲーム音楽史を語る上ではアーケードゲーム及びPCゲームの存在は軽視できない、というより時代の先駆者となったのはどちらかというとACとPCであることは明らかだ。それらのハード設計、音源ドライバー、作曲者についてどの程度記載するかという問題もあるが、個人で追いかけるには限界があるように思える。今回の商標登録はHallyさんのような研究者はもちろん、登録者にとっても良いことでもないような気がするのだが(あるとすれば俺の思う俺的ゲーム音楽史が出せるってことか?)。

最後にもう一度繰り返す。
ゲーム音楽の歴史を自分だけのものにするのはやめてくれ。ゲーム音楽の歴史を自分の私利私欲のために捻じ曲げ、作り変えうる可能性のある行動をとるのはやめてくれ。こんなの、あんまりだ。虚しいなんてもんじゃない。ただただ無念だ。
いつの日にか、正しく妥当性のある本当の『ゲーム音楽史』が出ることを切に祈ります……


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