2017年1月30日月曜日

平穏な日々の到来

試験が完全に終了したのでしばらくは学生という身分を最大限に堪能できる春休みを満喫させてもらうとしますかね。積みゲーを崩したりバイトでもするべきかねー。
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たまにはいつもやらないゲームをやろう!ってことでメタルスラッグ6に手を出してみた。津田沼エースには残機10という初心者大安心台が存在している。にもかかわらず今までやらなかったのは「複雑そう」だったからなわけだが、食わず嫌いもいけないよねーということで初プレイしてみた。地味ーに旧メタスラ以外、つまりは芋スラッグをプレイするのは初だ。1クレ3面中盤まで。
で、感想としては……なんというか、しっくりこない。手ごたえは確かにメタスラで、アクションゲームとしてみれば水準の面白さは間違いなくあると思う。しかしなんというかイマイチパンチが効いてない演出といい、必要性が見出せないウェポンストックシステム、それのために煩雑になった操作形態、キャラに個性が付いたことなど、自分が3で感動した部分とはことごとく違う部分に力を入れてる節がある。そして難易度が3に負けじと高い。いや、救済措置がパッと見見当たらないことや地雷武器、役立たずのスラッグを見れば間違いなく3以上の難易度だ。
若干話はそれるけど、自分はメタスラ3は簡単なゲームとは思わんが、間違っても高難易度のゲームでは無いと思ってる。自分でもどうにかなった(つってもレベル3残機4設定だからちょい微妙だが)ことからも分かる通り凡人ないしそれ以下のゲームの腕前でもやり込みさえすればクリアに手が届くレベルの難易度だ。近い例では大魔界村、魂斗羅スピリッツ、スーパードンキーコングシリーズあたりの難易度とどっこいどっこいだろう。適切な難易度調整が行われた作品の一つだとも思う。アーケードゲームだからあからさまなデッドポイントこそあるものの、そこに必ず救済措置(特殊武器とかスラッグとか)が存在している。理不尽さを感じないような配慮がされてるし、情報を詰め込み過ぎて脳をパンクさせるような状況に陥らないようにするために無視できる情報を多くするなりして、集中力を多大に使わせない工夫もあった。
で、6をやってみた感じなーんとも微妙な手触りなんだよね。驚愕したのは2面道中で出てくるアニマルスラッグ(ロバ)があまりにも弱すぎること、ウェポンストックシステムとの兼ね合いなのか地雷武器配置がやたらと多いことだ。特に前者。これはひどくないか?メタルスラッグはタイトルにスラッグをつけてることからも分かる通り乗り物が主役のゲーム(だから旧メタスラにキャラ差がないのかなーとか思ってた)だと俺は思っていたが違うのか?乗った瞬間に降りることを要求されるなんて前代未聞。
武器配置もねー、ウェポンストックシステムを採用したからあんな罠武器が登場したりもしたんだろうがそりゃあ本末転倒なんじゃねえのか?大破壊大暴走大殺戮がメタスラの面白さなのに使えない武器を取らされたり避けたり使える武器を温存したり……。そもそも3で顕著だけど特殊武器が途切れて火力不足になることなんて無かったからそんなシステム要らないと思うが……。しかも救済措置としての特殊武器が救済措置として機能しないとか(3面中盤でDとIを取らされその後に出てくる中型機にこれらがまるで役立たず、最適解がおそらくボム投げ)、一体何を考えて武器を配置してるのか……。俺のやり込みが不足してるだけならまだいいが救済措置が無いのは初心者及びヘボゲーマーに優しくない。
とりあえず第一印象はかなーり悪い感じだ。それでも今現在極パロとガレッガしかやってないからもう少しその二つ以外にも増やした方がいいと考えやった方がいいのかねー。んー。とりあえずもう少しプレイしてから考えようかな。
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・旧ナムコ創業者の中村雅哉氏死去
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170130-00000033-jijp-bus_all.view-000

今度ゲーセンに行ったらナムコクラシックコレクションをやりに行こう……。しかし、ゲーム業界に多大な影響を与えたナムコの父が……。
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株トレーダー瞬進行中。慣れてくるとトレードもおもろいねコレ。今ならインサイダー取引から風説の流布まで完璧な気がする(ダメじゃねえか
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・なぜサトシは戦わないのか? ポケモンがRPG史に成し遂げた達成:「なんでゲームは面白い?」第五回
http://news.denfaminicogamer.jp/column01/pokemon-contribute

この前の当てにならないメモを見つつ、勝手に思うことをつらつらと。サトシって名前を表題にしたり中身に絡ませたのは、集客目的だろうなあ、と思ったり。なにせポケモンは「自分の」物語であるわけだからそこに「他者」であるサトシの名前を使われるともにょもにょする人とかが多いからねー。あとポケモンの主人公はレッドだろ!っていう人も一定層居そうだし。
話を元に戻して……、ポケットモンスターシリーズ、中でも初代ポケットモンスターは言うまでもなく田尻智さんが手がけた、そしていわば氏の集大成が詰まった作品でもあります。田尻さんが体験したこととかが、ゲームの中に落とし込まれてるわけです。特にポケモンのアイデアは子供時代の昆虫採集やザリガニ捕りから得たって話は有名でしょう。この辺は「田尻智ポケモンを作った男」に詳しく書かれていますな。少年時代に何を見て、何を感じ、そこから何を得たか、ということもまたポケモンに落とし込まれていることでしょう。色々なことを経験して少しずつ成長していったことがポケモンにも入ってるわけです。先の考察文ではゼルダとの比較でアイテム面などからポケモンは成長物語だと書かれており、それは全く持ってその通りですがその側面だけを見なくてもそれはヒシヒシと感じられます。顕著なのは舐めた言動、とまで言うと言葉が強いけれど、何か小馬鹿にしながら目を合わせて戦闘を仕掛けてくるトレーナー戦でしょう。勝利すると、やるじゃねえか、みたいな少し見直してくれる言葉を言ってくれます。最初は少し下に見ていた人たちが、ポケモンバトルというやり取りを重ねることで見直してくれる。自分が少しずつ認められていくことを繰り返して成長していくゲームなわけです。ポケモンは田尻さんの個人的な体験経験を落とし込んだものですが、ことにその「成長」の部分に関しては田尻さんだけでなく、おとなもこどももおねーさんも、世界中の人みんなに当てはまることだったわけです。
ポケモンで主人公が戦わない理由は、戦っちゃうと成長物語の描写がぶれちゃう、と自分は考えてます。ようは現実味の問題。主人公自らが戦いに馳せ参じると誰にでも当てはまる体験からは離れてしまう。それでは特定層にしか響くものにならない。主人公自らが戦わないことによって多くの人に響くものにした、と思ってます。……まあ、こんなわちゃわちゃ考えるまでもなく「昆虫採集が元なんだから捕まえてきたカブトムシとクワガタとの戦いに人間も混じって戦うのはもういろいろおかしい」って風に世界観との兼ね合いで終わらせても良いんですけどね。
後は田尻さんが景色を意識して制作される方だったっつーのも関係してるのかなあ。ポケモンの戦闘シーンはなぜああいった形(手前に自分のポケモンのケツ、奥の方に相手のポケモンがいて、相手のトレーナーがいる構図)になったかというとそれはもうゲームの中の主人公が見ている景色を再現したかったからに他ならないわけで。何度も書いてるけどポケモンは主人公はプレイヤー自身なんです。だからあれほどに没頭するわけで。

ポケモンはシリーズを重ねるごとに求められるものが変化して、現実味のある成長物語の面が薄まっている側面がある。ここらで一度原点(初代金銀)に立ち戻りある程度のリアリティーのあるポケモンを作ってもらいてえなーと思ったり。まあ実際それやったらやったらで地味なものになりかねんけど。サンムーンもなあ……。悪くはないけど、ちょっとね……

・関連:田尻智&石原恒和スペシャル対談
https://www.nintendo.co.jp/nom/0007/taidan1/page01.html
俺が書いた成長物語が云々のところを田尻さんが自ら語ってます。スタンド・バイ・ミーも出てくるヨ。
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つーことでしばらくは休暇期間。惰眠を貪り無気力生活を満喫するぞー。いえー。




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